Good morning,Darling



ジャックは気持ちの良い場所を見つけるのが上手だと思う。

(朝の学園の中庭も静かで気持ちが良かったものね。)

”ここ”と同じ様に、と想いながらエミリーは周りを見回した。

ホワイトリー家はタウンハウスとはいえそれなりの規模を誇る庭がある。

エミリーが子ども時代を過ごしたコッツォルズの領地は野山そのものが庭だったから、それに比べればもちろん限られた場所ではあるが、それでも人が行き交う場所とそうでない場所ができるぐらいには広い。

そして庭園の端にあたるここはまさに、そうでない場所だった。

(というか、こんなところにこんな場所があるなんて、私も知らなかったわ。)

屋敷の主であるエミリーは改めて感心したようにため息をついた。

庭の中心から見ると大きな木と生け垣が外塀沿いに生えているようにしか見えない場所だが、近寄ってみると、木と塀の間には意外に広い空間があった。

生け垣がエミリーの背丈ほどもあるのでそう簡単にはのぞけないこの場所を、エミリーが見つけることが出来たのは、ジャックを探している途中で偶然、その生け垣の切れ間を見つけたからだ。

(・・・・髪の毛が引っかかって大変だったけど。)

ついさっきの悪戦苦闘を思い出して苦笑したが、頑張ったかいはあった。

生け垣に沿って進んだ先で、大きな木に背を預けて目を閉じているジャックを発見したからだ。

(普通のメイドやフットマンがこんな所にいたら絶対にさぼってると思われるところよね。)

エミリーが思わずそう思ってしまうぐらい、ここは完璧な隠れ場所だった。

しかも草の匂いとそよぐ風がとても気持ちよく、昼を過ぎたばかりの陽の光が暖かく降り注いでいるとくれば昼寝をしないほうが罪に思えるぐらいだ。

もちろん、ジャックが仕事をさぼってこんなところで昼寝をしているわけではないことは、エミリーが一番よく知っている。

(アリシアが昨夜はペンデルトンの言いつけで夜遅くまで働いていたのに、今日もずっと仕事してるから休憩を言いつけたっていってたものね。)

基本的にフットマンの管理は執事であるペンデルトンの仕事で、メイド頭のアリシアは口を出すことはないのだが、見かねたらしい。

(ジャックは仕事に対してかなり真面目だものね。)

一見無口で無気力っぽい事を言うものの、思い出してみれば学園の勉強などもかなり真面目にやっていたことをエミリーは思い出した。

過酷な半生のために諦める事を知ってしまったジャックだが、根は真面目で優しいのだ。

そういうところにちゃんと気づくことができた自分はちょっと褒めてあげてもいいだろうと思う。

(そういうジャックの素敵なところをちゃんと見つけられたから、好きになったんだものね。)

ふわっと言葉と共に広がった甘い幸福感に、エミリーはふふっと口元に笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締めた。

(さて、どうしようかしら?)

一人で脳内で惚気るのもほどほどにしないとただの不審な人だ、と思い直して、エミリーはう〜ん、と再び思案に戻った。

目の前には誰も気が付いていない庭、そして木に寄りかかって眠るジャック。

(疲れているのに眠ってるのを起こしたくはないし・・・・でも、せっかく時間が出来たならおしゃべりもしたいし・・・・。)

普段昼間は主とフットマン兼ボディーガードというスタンスを取っているので普通に話せる事はほとんどない。

それでも一緒に過ごせるだけで嬉しいし、就寝前にはジャックがエミリーの部屋を訪ねてできるかぎり恋人としての時間を過ごすことが出来ているので別に不満があるわけではないけれど、それでも話せるチャンスがあるなら話したいと思うのは恋する乙女心の自然な欲求だ。

というわけで、エミリーはしばし考えた後・・・・

(・・・・よし。)

ぐっと拳を握って決めた。

一つ賭けてみる事にしたのだ。学園でかつてよくやっていた事に。

エミリーは今まで生け垣の影からこっそり覗き込んでいた庭の芝生にそっと一歩を踏み出した。

(そーっと、そーっと・・・・)

ジャックまでの距離は10歩ほど。

一足一足慎重に。

(き、緊張すると息をしづらくなるのは何故かしら。)

マープルやホームズに聞かれたら盛大に呆れられそうな事を考えながら、息さえ殺して、あと5歩。

夏草に変わったばかりの庭の地面は上手くエミリーの足音を消してくれた。

慎重に、スカートも押さえて、あと2歩。

(まだ起きてない、わよね?)

覗き込むような形で腰をかがめて、1歩。

木に頭を預けるような形で寄りかかっているジャックの瞳は開くことはなく、エミリーは成功を確信した。

(やったわ!ついに!)

起こさずにジャックに近づけた!とエミリーは心の中で歓声を上げて思わずそっとジャックに手を伸ばした。

―― 刹那
















「―― 使用人の寝込みを襲うお嬢様って、どうなんだ・・・・?」

「ひゃあっっ!?」















自分に向かって伸びてきたエミリーの手首をタイミングを見計らって掴みながら呟くと、エミリーの素っ頓狂な悲鳴が耳をくすぐった。

同時に目を開けば、眩しい午後の日差しとそれをキラキラとはねさせる金髪に縁取られたエミリーの顔が目をまん丸くしているのが映る。

「お、お、起きてたの!?」

びっくりした、と顔に書いてあるようなエミリーにジャックは小さくため息をついた。

「起きてた・・・・というか、お前がこっちを見てずっと動かないから、どうしようかと思ってた。」

「え、ええ!?」

近づいてくる前から知られているとは思っていなかったのだろう。

唯でさえ大きな目をまん丸くするエミリーにジャックはほんの少し苦笑する。

(こいつ、もう俺が暗殺者だったって知ってるんだから、気づかれるぐらいわかりそうなくせに・・・・)

学園にいた時に、朝、一人で中庭にいるとエミリーがそーっと寄ってきた事があったが、あの時はエミリーにとってジャックはまだ、イーストエンドから通う生徒であり、特殊な能力を持っていたとは知らなかった。

だから「起こさずに近づこう」というジャックにとっては不可思議な行動にしょっちゅう出ていたのだが。

「私が見てた時から気づいてたの?」

「まあ、な。」

気配を消す訓練を積んでいる者さえも感知できるように研ぎ澄まされた感覚を持つジャックにしてみれば、エミリーの気配を感じ取るなど容易い。

「それに・・・・」

エミリーの気配は特別だから。

日溜まりのように暖かくて眩しい、ジャックの大好きな・・・・。

「なあに?」

(・・・・なんて言えるか。)

「・・・・なんでもない。」

首をかしげて聞いてくるエミリーからふいっと視線を逸らしてジャックはそっけなくそう答えた。

「ええ!?気になるじゃない!」

「・・・・気にすんな。」

「う〜・・・・。」

不満げに見つめられて、内心どきりとしながらもジャックはその表情を覆い隠す。

素直に言えば彼女は喜んでくれるだろうが、そう簡単に言えるならとっくにエミリーが辟易するぐらいの数の言葉を紡いでいるだろう。

というわけで、本腰入れて誤魔化すことにして、ジャックは未だに掴んでいた手首を離すと、「座るのか?」と問うた。

すると「ええ」と頷いたエミリーがすとん、と隣りに腰を下ろす。

木漏れ日のような金髪が揺れて、甘い香りが少しした。

なんとななしに、鼓動が跳ねて、それを誤魔化すようにジャックは片膝を立てると肘を突いて顎を乗せる。

「それにしても、本当にジャックは敏感ね。」

「は?」

「だって歩き出す前から気づかれてるなんて思わなかったわ。」

純粋にビックリした、というように言われて、ジャックは僅かに苦笑した。

「俺は・・・・暗殺者だったから。」

簡潔な言葉に、エミリーは「あ」と口を開けて、その眉間に皺を寄せた。

「そっか。そうよね・・・・。」

エミリーの表情が曇ってしまった事にちくりと胸が痛んで、ジャックは思わずその眉間に手を伸ばしていた。

そしてそっとその眉間をつつく。

「へ!?」

意外な行動に驚いたのだろう。

目を丸くしたのと同時に皺が消えて、ジャックは満足する。

「今は、違う。」

暗殺者として時には冷酷な狩人のように、時には追い詰められた狐のように夜の闇の気配に神経を極限まで尖らせて蠢いていた時と今は違う。

日溜まりのような少女の気配を目を瞑ったまま待っていられる事が、どれほどジャックの人生において奇跡的な事なのか、きっとエミリーにはわからないだろう。

けれど、少なくともその幸福感の一部は伝わったらしいエミリーがふわっと笑った。

それがあまりにも嬉しそうだったから、またうるさくなった鼓動を持てあましてジャックはふいっと顔を背けると憎まれ口をたたく。

「なに・・・・笑ってんだよ。」

もちろん、そんな事をしてもエミリーに効果があるわけもなく。

「なんでもないわ?」

「・・・・・」

にっこりと微笑まれて、ジャックはあえなく口を閉じた。

そのまましばらく、居心地がよく、けれどどこか気恥ずかしい沈黙が流れていたが、ふとジャックが口を開いた。

「・・・・なあ」

「うん?」

「前から不思議だったんだけど・・・・お前、俺を起こさずに近づいて、どうする気だったんだ?」

それは実は学園にいたころからの密かな疑問だった。

なにせジャックにとって起こさないように近づくとは、イコール寝首を掻く事だが、まさかエミリーがそんな物騒な事を考えるわけもない。

いつも残念そうにする彼女を見ながら、内心首を捻っていたのだが、ふとそんな事が久しぶりに蘇った。

しかし問いかけられたエミリーの方は、意外な事を聞かれたようにきょとんとして。

「え?・・・・そうねえ・・・・・・」

顎に人差し指を当てながら考え込んでしまう。

「おい、考えるほどの事なのかよ。」

「うーん、改めて聞かれると考えちゃうの。・・・・学園の中庭でジャックを最初に見つけた時は、確かびっくりしてそれで、近づいて起こしたらどう反応するんだろうって思った気がするわ。」

「反応・・・・?」

「ええ。ジャックって色々謎が多かったし、素っ気ない態度が多かったでしょ?だからビックリしたらどいう反応をするかなって興味があったの。」

驚かそうとした、ということか、とジャックは納得する。

(いかにもこいつらしい理由だな。)

正面切って「貴方のことをもっと知りたいから」と文通を求めてきた時のように、エミリーは他人のことを知ろうとする事に関しては人一倍頑張るところがある。

だから無愛想素っ気ないと敬遠されていたジャックにも物怖じせずに構ってきたのだが。

「・・・・物好きな奴。」

「似たような事を前にも言われたわよね。」

ぼそっと素直な感想を乗せると、少し拗ねたような顔でそう返された。

しかしすぐにその顔は、どことなく悪戯っぽい笑みに変わった。

「・・・・?」

何か予感がして、エミリーの方を見れば、彼女はちょうど立ち上がるところだった。

「おい・・・・?」

どこかに行くのか、と一抹の寂しさが掠めて思わずそう呼びかけたジャックだったが、予想に反してエミリーはジャックの正面に回った。

そしてジャックが広げた足の間に座るように膝をつかれて、思わぬ近さにジャックの鼓動が一つ跳ねる。

しかしエミリーの方はにっこりと笑って。

「でも、もし今、寝てる貴方を起こさずに近づくことが出来たら・・・・こうするわ。」

「は ―― 」

何を言っているのか理解が追いつくより早く、ジャックの上に降り注いでいた日差しがかげって ――
















「おはよう、ジャック。」

嬉しそうで、恥ずかしそうで、とびきり甘い声でそう紡いだ唇が、花にとまる蝶のようにジャックの額へ。















「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

とっさに何の反応も出来なかった。

というか、心の底から驚いた時、自分がこんな反応をするとは自分でも初めて知った。

しかし自分でも反応できない気持ちが何故かエミリーには伝わったらしく、彼女は顔いっぱいで笑うと、さっと立ち上がった。

「そうそう、忘れてたわ。私、ジャックを探していたの。」

「・・・・は・・・・?」

「少し外出をしたいんだけど、着いてきてほしくて。だからお願いね、ジャック。」

3歩、4歩。離れていくエミリーは長い金髪をふんわりと揺らして振り返った笑う。

その頬が薔薇色に染まっていて ―― 見とれてしまうぐらい、綺麗で。

「あ・・・・・・ああ。」

「じゃあ、先に行って仕度しているわ!」

楽しげにそう言うと、エミリーはスカートを揺らして生け垣の道へと消えていく。

その後ろ姿を、黙って見送って ―――― しばし。

「・・・・・〜〜〜〜っ」

額を抑えたジャックが、一気に血色が良くなった顔で呻いたのだった。

「・・・・今度、寝たふり・・・・してみるか。」

―― 生真面目なジャックが気配を察するより、寝たふりをする方がずっと難しいと知るのは、これからのことである。
















                                                  〜 END 〜
















― あとがき ―
異端児ジャックの章でエミリーが起こさないように近づこうとしているのが可愛すぎて悶絶したので(笑)